バンジョーキット製作記

 ムーンシャイナー誌 掲載のもの


 ここは愛知県の片田舎、さえない中年男川合ケン(以下、私)は厄年を控えたある朝「もっとウクレレを弾きなさい」という大宇宙からのメッセージを受け、高校生を頭に3人の子持ちのくせにそれまで勤めていた会社をやめてしまう。失業保険と妻のパートの給料で食いつなぎ1年間の血のにじむような努力の結果、これまでにない独自のウクレレ奏法の完成に到るが、あまりにも独自であったため誰にも相手にされずあっさり食い詰める。ハローワークで紹介された福祉施設のパート職員のかたわら、初心者向けウクレレ教室を始めるが宣伝費がなかったため思うように生徒が集まらず社会の厳しさを知る。途方にくれている私に救済の手を差し伸べたのは近所に住む楽器商社の社長細川氏でした。すがる気持ちで仕事をもらい、何でもやります贅沢は言いません今度こそ真面目にやるんだとからっ風に誓う春3月、ウクレレより重いものを持った事がない私が担いでいるのはウクレレ24本入りのカートン、先輩はおおかた年下、コンテナーの荷物の受け入れ、検品、出荷と慌しい毎日を過ごしていたある日、ワタクシは社長室に呼ばれたのである。

「川合君、ちょっと。」

「はい、社長、なんでしょう。」

「わが社は楽器商社であるが社員一人一人にある程度の楽器製作能力が必要なのは言うまでもない。」

「はい、おっしゃる通りでございます。先輩の皆さんも楽器専門校卒業のエキスパートの方が多くて日々勉強させていただいております。」

「うむうむ、君の学歴欄には“高知大学フォークソングクラブ卒”とあって楽器作りの経験はなさそうだね。どうかね、ここは勉強の意味で1本仕上げてみてくれたまえよ。そしてレポートを書いてもらう。さあ、どれにするね?」

 社長はおもむろにいくつかの段ボールのふたを空けた。それらはわが社の楽器製作キットの数々であった。キット類は社長がとくに力を入れており、わが社の(ていうか社長の)主力商品のひとつである。カリンバ、マラカス、タンバリン、ウクレレ、ミニフォークギター、クラシックギター、ウェスタンギター、ミニエレキギター、ストラト、テレキャス、バイオリン、バンジョー、マンドリン。私は迷わずウクレレキットマホガニー合板高級仕様を手に取った。

「こらこら、そんなものでスキルが上がるかね?それにわが社はブルーグラス楽器の老舗としての礎の基にここまでの規模に発展してきた経緯がある。ブルーグラスの楽器にしなさい。」

うう、どれもむずかしそうだだけど作った後はもらえるんでしょ。やっぱこれしかないな、塗装面積の一番少ないBJ-KIT-O。これにしといたろ。

「社長、おっしゃる通りでございます。時代は今、ブルーグラス!中でもバンジョーはペリーの黒船が横浜に持ちこんで今年が150周年の記念の年、SMAPの“世界に一つだけの花”も有田さんのバンジョーの伴奏でこそ、あそこまでヒットしたと言えますよね。これです。これにさせていただきます。」

「うむ、頑張ってくれたまえ。ただし、完成品の出来次第では覚悟を決めてもらわねばならない。」

「え?覚悟とおっしゃいますと?」

「あまりにもお粗末な出来であった場合、中国の提携工場へ研修にいってもらう。最低2年だ。」

「げ、それはあまりといえばあまりでは?」

「心を引き締めて取りかかって欲しい。その代わり出来が非常に良かった場合の事もちゃんと考えてあるので心配ご無用だよ、川合君。」

「はあ、出来が良かった場合は?」

「中国の提携工場へ指導者として派遣する。」

 そんなわけで私はバンジョーキットを下手でも上手でもなく作り上げるという非常に厄介な局面に立たされたのである。

 ここはひとつエキスパートのみなさんにお伺いをたてなければなるまい。

先輩社員に楽器の塗装についてレクチャーを受けることにした。

「マスキングしてペーパーで順番にサンディングしてメドメしてサンディング・シーラー塗ってラッカー吹き付けてサンディングしてそれを何回か繰り返して最後にトップコート。それぞれいろいろあるし組み合わせにも注意する。詳しくはホームセンターで聞くように。以上」

なるほど、さすがエキスパート、的確かつ簡潔なアドバイスではないか。ありがとうございます。って専門用語わかんねえ、もうちょっと噛み砕いてお願いします。つまりこういうことらしい。


1)マスキングテープでキズ及び塗料のついてはいけない箇所を覆い保護する。

2)サンドペーパーの目の粗い方から360番、600番、800番、1000番と順に、前の番手のこすり傷がなくなるまで木肌をとことんこすっていき塗装面をすべすべにする。塗装面がでこぼこだと塗料が剥がれてしまう。

3)さらに、との粉を塗装面の木目に擦り込み、乾燥させてからふき取り、塗料を吸ってしまいそうな細かな凹みをすべて埋めてしまう。

4)さらにさらに、細かい目止めと、表面を滑らかにするためにサンディング・シーラーなる中塗り塗料を厚く塗って乾いたらサンドペーパーで目の粗い方から順に削り落とす。塗装面は鏡のようにツルツルである。

5)ここでようやっとラッカー塗料を塗って色づけに入るわけだが、これもまた塗って>乾燥させて>サンドペーパーで順にこすってのパターンを最低3回は繰り返す。

6)仕上げにトップコートを塗って塗面を保護し、ツヤを均一化する。完成。

 どえらいめんどうじゃん!その上、塗料の種類によっては一緒に使ってはいけない組み合わせもあるらしいし、これはえらいことになった。しかし、乗りかかった船、こうなりゃ意地でもやってやる。まずはこすればいいんだな、こすれば。私は会社の作業台からサンドペーパーをくすねて帰ったのである。

 我が家はマンションの5階、そのベランダでエプロンとマスクを着用し一心不乱に紙ヤスリをかける私。長時間の単純作業は子供の頃から大の苦手でいつも途中で投げ出してきた。小学校で貼り絵をやったときも最後の方に背景を貼る頃には折り紙そのまま貼ってたし、中学の技術の時間に本棚作ったときはそれこそ紙ヤスリをろくろくかけずにニスを塗って、それも一度に塗りすぎてダラダラに失敗したのであった。バンジョーのネックをこすりながら人生の来し方行く末に思いをはせる休日の午後、せめてBGMにブルーグラスでも、と思ったが、LPレコードはあってもCDは無いのである。1枚見つかったのは「ブルーグラス・ララバイ〜ブルーグラス・クリスマス」ちょっと季節外れだがいたし方ない、これをリピートで聞きながら木肌をひたすらこすった。

 日が暮れるまでこすって一応すべすべになったと判断し、次は塗料を買いに行く。大人の段取りというものがある。明日は朝から塗装にかからないと時間が無いので今日のうちに買っておく。それも手ぶらで行ったりはしない、ちゃんと現物を持参してホームセンターの店員にアドバイスを貰うことにしよう。

 近くの大きなホームセンターの塗料コーナー、まずはサンディング・シーラーを探すがみつからない。店員に尋ねると「そういうものはございません。」という返事が返ってきた。そこで私はリムとネックを取り出し、先輩から授かった今後の工程の概略を説明した。それに対する店員の説明は「ここまで塗装面の処理がツルツルにしてあればサンディング・シーラーはおろかとの粉も必要ないしツヤありのエナメル系塗料を使えばトップコートをしなくても十分に光沢が出るであろう。スプレーのもので十分であり、コーナーの塗料それぞれに木片に塗装を施したサンプルが展示してあるのでそれを参考にされたし。」とのことである。より楽な道を選択するのは人情である。たとえそれが戸棚だのフェンスだのの塗装を念頭に置いた発言であったとしても、私は店員の説明を無理矢理納得することにした。人生楽なものだ。

 そうなると、次に浮上してくるのは「何色にするか?」という問題である。世にあるほとんどのバンジョーのようにオーソドックスなブラウン系にするか。製作記も書くことだし、ここは話題性を取ってもっとカラフルなパステルカラーとか。どうせ弾けないんだし笑いを狙って蛍光色やメタリック、いっそマスキングを駆使して縞々にしてしまおうか。30分は迷った挙句私の出した結論はいずれ自分のものになる楽器、冒険はよそう、だから黒。値段は約1000円、蛍光やメタリックはもっと高い。塗装面積の少ないキット選んで良かったと改めて思う。ブラック・バンジョー、しぶいぞ。

 さて翌朝、あいにくの雨模様ではあるがベランダに新聞紙を敷いて本日の開業である。ブルーグラス・クリスマスは飽きた上に妻からご近所よりの不審を理由に禁止令が出たのでBGMはB.C.R.とKISSにした。そしてビール。新聞紙にてまずスプレーの噴出具合を試して上々、ボディとネックに一通り吹き付けてみる、2分で終わる。乾燥、晴れた日は40分雨の日は1時間。新聞など読みつつビール。冷蔵庫にツマミをあさりに行ってビール。1時間後、程よく乾いた塗装面を毎度のサンドペーパーでこするとほとんど剥げ落ちてしまった。なるほどこれを繰り返していくのか、と感心しつつビール。再び吹きつけ2分。待ち時間、その度にビール。乾燥・吹きつけ・サンディングを繰り返し、バンジョーも私自身も着実に出来上がっていき、夕方近く、ようやっとリムとネックの塗装が完成したのである。

 私はすでにプチ酩酊状態だが後はネジやボルトで留めるだけ、何とか今日中に完成させようと思う。部屋に入ってパーツを並べ、リムにラグを取り付けトーンリングをはめ、ヘッドを乗せて対角線順にブラケットを締めていく。次にネックにペグの取り付け、説明書にも「すでに糸巻き取り付け用ビス穴が開いています。」とある通り家庭の簡単な工具で組み立てられるよう親切に設計されている。だんだんバンジョーの形が出来上がっていくのを実感しつつ、次はリムとネックの取り付けである。9mm棒でネックをリムに取り付けテールピース側からの5mm棒と大六角ナットつなぎ、テールピースラグを取り付け、親切にも付属しているモンキーレンチで各々のナットを締める。

 ここまでくれば完成である。連結棒を締めてネックの角度を調整し、テールピースを取り付け弦を張り、ブリッジの位置を決めてチューニング。最後にロッドカバーをビスで取り付けて終了。マイ・ブラック・バンジョーの完成である。楽器屋には売っていない世界にひとつだけの黒いオープンバックバンジョー。

 バンジョーはあまり弾けはしないが、楽器奏者の端くれとしては自分が苦労して仕上げた楽器に愛情が湧かないわけはない。「誰でもすぐ弾けるバンジョー・ブック」も付属しているのでそれに沿って簡単なコードを拾ってみた。ギターのオープンGチューニングと同じなのでわかりやすい。幸いわが社にはバンジョー担当の課長もいることだし今後真剣にバンジョーに取り組んでみようと思う。大宇宙からの新たなるメッセージが私に届く日も近い。


追記:弊社のキット商品は詳しいマニュアル付きで親切設計、ご家庭で気軽に製作可能なすぐれた商品となっております。本文に記載の通り、バンジョー以外にもいろいろ取り揃えてございます。ぜひB.O.M様にご注文下さい。

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